2020年05月

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こちらから確認できます:
https://youtu.be/PYjIXNc1uEI


「生きよう!天から降った恵みと共に」-聖霊降臨―

(使徒言行録2:1-21)

(2020年5月31日)

山口卓也

皆さん、こんにちは。お元気ですか。

いつもご覧いただき、ありがとうございます。


緊急事態宣言。解除されましたね。教会の活動も、少しずつ再開の動きが出てきました。

それでも、マスクの着用が当たり前になったり、インターネットでの会議が急速に広まるなど、今までとは違う、新しい生活のあり方が始まっています。


きょうの聖書も、新しい時代へと移り変わる。その時期が舞台です。


神さまは、永遠に変わることのないお方。しかし、神さまが私たち人間を導く方法。それは、いつも同じではありません。


前回、塗り絵のお話を致しました。

今回も、神さまのご計画という下絵の線。ここに色が塗られていく。その時がやって来たんです。

そのイメージカラーは、赤です。


ルーテル教会では、牧師が着用するストールや、説教壇にかける布。それがこの日、赤一色となります。

では、何をお祝いするかと言えば、イエスさまが十字架にかかり、復活なさった年。紀元30年の今頃、実際に起こった出来事を祝っています。


そして、この出来事こそ、今に至るまで続く、恵みの時代のスタートだったのです。

では、きょうの聖書を見てまいりましょう。


【新共同訳】使徒言行録2章1から21節

1: 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、

2: 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。

3: そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。

4:すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

5: さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、

6: この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。

7: 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。

8:どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。

9: わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、

10: フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、

11: ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

12: 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。

13: しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

14: すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。

15: 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。

16: そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。

17: 『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。

18: わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

19: 上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。

20: 主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。

21: 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』


“五旬祭(ごじゅんさい)”というのは、イスラエルのお祭りのひとつです。イースターから数えて、50日目にやって来ます。

新約聖書が書かれたギリシャ語では、ペンテコステと言います。


イスラエルのお祭りは大変ユニークです。

なぜかと言いますと、人が考え出したものではなく、神さまが「行いなさい」と命じたものだからです。


そして祭りは、過去の出来事を記念する意味の他に、

将来起こることを預言するという、二つの意味合いを持っています。


ペンテコステの場合は、まずイスラエルの民に“律法”が与えられたこと。これを記念しています。

では、将来起こることとは、何でしょうか?

それが、聖霊降臨だったのです。


イエスさまの12弟子たちに聖霊が降(くだ)る。これは、天にお昇りになる前、イエスさまが予告なさったことでした。


そして、イエスさまのお言葉通り、耳にも、そして目にも、はっきりわかる形で、聖霊が弟子たちに降りました。

炎のような舌、という表現から、真っ赤なイメージが

わいてくるのではないでしょうか?


“家中”と書かれていますが、聖書では、神殿を神の家と表現することがあります。ですから、ここでの“家”とは、

おそらくエルサレム神殿のことでしょう。


“五旬祭”を祝うために、この時、大勢の人が都エルサレムに滞在していました。驚くような物音を耳にした人々は、弟子たちの所に集まって来ました。

すると、どうでしょう?


教師でもなく、いかにも田舎者という感じの青年たちが、大胆に“神の偉大な業”についてスピーチしています。

しかも、その言葉遣いが、弟子たちの出身地ガリラヤのものではありません。


彼らが、訪れたことなど絶対にないはずの場所。祭りを祝うために集まっていた人々の、それぞれの故郷。

そこで話されていた方言で、語っていたのです。


驚く人。戸惑う人。12弟子たちを酔っ払いだとあざける人。様々な反応が起こる中、弟子のひとりペトロが立ち上がります。


「朝の9時と言えば、お祈りと捧げものをする時間です。

酔っているはずがないじゃありませんか。

皆さんが、見聞きした出来事は、私たちに神さまの霊。聖霊が注がれたからなんですよ。」

そう言ってから、イエスさまこそ救い主であることを語り始めました。


すると、彼のメッセージを聞いて、3千人ほどの人が信仰に入ったのです。

ここに教会が誕生しました。


ペトロが語ったメッセージの最後の部分をお読みします。


《 すると、ペトロは彼らに言った。

「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」》(使2:38-39)


いかがですか?

ペンテコステの日以来、イエスさまを信じる人であれば、誰にでも、聖霊が与えられているというのです。

これまでにはあり得なかった、びっくりするような恵みです。


「そんなこと信じられない」

そう、おっしゃるかもしれません。ですが、これは神さまのことば。聖書に書かれた真実です。

神さまが、嘘の約束をしたことなんて、一度もありませんよね。


イエスさまは、どうでしょう?

本来、目に見えない神であるお方です。それなのに、人となって私たちの世界に降って来てくださったではありませんか。


神である聖霊もまた、地上にくだり、イエス・キリストを救い主として信じるすべての人。あなたのうちに住んで、導いてくださることができるんです。


 では、イエスさまは今、何をしておられるのでしょうか。

天の御国で、休憩中。たまに、私たちを見下ろしているんでしょうか。


そうではなく、イエスさまのお働きは、新たな段階に

シフトしたのです。

それが、大祭司としての働きです。


大祭司とは、神さまと人との間を取り持つ働きをする人のことです。

イスラエルの民を代表して、罪を赦していただくための犠牲を捧げ、神さまに祈る仕事をする人です。


私たちにも、大祭司が必要です。

人は誰もが、神さまがお嫌いになる、罪の性質を持っています。

ありのままの状態で、聖なる神さまに近づくことはできないのです。


それは、魂の内側に罪という、致死率100%のウィルスを宿している状態です。どんな天才にも、ワクチン開発は永遠に不可能。

でも、がっかりしなくて大丈夫です。

もうすでに、あなたの手の届くところに存在するからです。


イエスさまが、十字架で流された血潮。これには、あなたを罪からまったく清め、永遠に生きる生存率を100%とする力があるからです。


たとえ今、地上の人生が終わったとしても、信仰によって、イエスさまと同じ、栄光のからだによみがえることが約束されています。


わたしたちの神である主が招いてくださる者とは、あなたのことです。

神さまは、今日も、あなたを招いておられます。


今までの人生のシナリオを脇に置き、

イエスさまがくださる新しいシナリオで生きることを始めてみませんか。


バラ色の人生。何も問題が起きない人生を聖書は約束していません。ですが、聖霊がいつも共にいてくださいます。


そしてイエスさまが、私たちの大祭司として、父なる神さまとの間を取り持ってくださっています。

罪の赦しのための犠牲は、もう必要ありません。

イエスさまが、すでに字架の上で、捧げてくださったからです。


そしてイエスさまは、私たちのために、常に祈ってくださっています。

そのイエスさまの祈りに支えられ、守られながら、生きることができるのです。


だから、クリスチャンは祈る時、「イエスさまのお名前によって」祈ります。


単なる決まりだから、そうするのではありません。

イエスさまだけが、私たちの祈りを父なる神さまに届けてくださる大祭司だからです。


この世界は今、疫病への恐れに支配されているかのように見えます。

しかし、どんな時であっても、神さまの恵みは、私たちのただ中に満ちています。


どうか、神さまとの親しい交わりが、いつも皆さんと

共にありますように。

イエスさまのみ名によって祝福します。


ではまた、次週のショートメッセージでお会いしましょう。

 



YouTubeにムービーをアップロードしました。
こちらから確認できます:
https://www.youtube.com/watch?v=EatjJUFhu6g


ショートメッセージ 

見えなくたって、心でハグ!

ルカによる福音書24:44-53

復活節第6主日 2020年5月24日

山口卓也

皆さん、こんにちは。

お元気にお過ごしでしょうか?

今日もご覧いただき、ありがとうございます。


「動画見ました!」という励ましのお言葉を何人かの方から、頂戴しました。

大変うれしく、感謝しています。


また先日、ある方からお手紙をいただきました。

礼拝が中止されている状況に対して、「大切なものを奪い取られてしまったようだ」と書かれていました。


本当にそうですね。

教会に集まって、神さまを礼拝する。これは実に大きな恵みでした。


教会ではクリスチャン同志、兄弟、姉妹と呼んで親しく会話する。こんな習慣があります。

そしてランチやお茶を囲んで、お互いのために祈ったり、励まし合ったりするのです。

コロナ問題が立ちはだかって以来、平和のあいさつで行う握手やハグ。このような大切なコミュニケーションさえも、奪い取られています。


解決策のひとつとして、ウェブ上で礼拝の動画、メッセージの動画が、いくつも提供されています。

このショートメッセージも、タイトル付近のリンクをクリックしていただきますと、動画でご覧になれます。少しでもお役に立てれば幸いです。


今後も、礼拝の場所やスタイルが変更になる。そんな事態が起こるかもしれません。

ですが、私たちが礼拝すべきお方は、永遠に変わることがありません。


では、その変わることのない神さまのみ言葉から聞いてまいりましょう。


【新共同訳】ルカによる福音書24章 44~53節


44: イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」

45:そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、

46:言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

47:また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、

48:あなたがたはこれらのことの証人となる。

49:わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

50:イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。

51:そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。

52:彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、

53:絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。



十字架の死から、よみがえったイエスさま。

その地上でのミッションは、すべて完了しました。

だから、栄光の神にふわさしい場所。天へと昇って行かれたのです。


それを見ていた弟子たちの気持ちは、どうだったんでしょう?

「イエスさまが、奪い取られた!」そう思って号泣しても、当然です。


ところが、泣くどころか大喜び。弟子たちは、その後エルサレム神殿で、絶えず礼拝を捧げていたんです。


さすがイエスさまの弟子。特別な信仰を持っていたのでしょうか。


実は、まったく、違います。

彼らは元々、イエスさまを頂点とした王国の大臣になろうとして人生を賭けた。そんな青年たちでした。


弟子の中でも、自分がトップになりたい。

そう願って、抜け駆け作戦を繰り広げるなど、野心丸出しです。


しかし彼らがなったのは、大臣ではなく、イエスさまの福音を伝える働き人でした。

偉くなって人を支配するどころか、むしろ自分を捨てて、人に仕える。

真理のために、命の危険と向き合う。


願いとはまったく違う人生が待っていたのです。

なのに、なぜ彼らは、大喜びで神さまをほめたたえることができたんでしょう?


100%、イエスさまによる至れり尽くせりの配慮が、そうさせたのです。


まず、今朝の聖書からわかるのは、彼らに必要な知識をイエスさまが教えてくださったということです。


≪わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に

書いてある事柄は、必ずすべて実現する。≫

そうイエスさまは言われました。


“モーセの律法と預言者の書と詩編”

これは旧約聖書のことです。


救い主、メシアとしてのイエスさまのご生涯。

それは苦しみの連続でした。


神であるお方なのに、「これでもか!」というほどに侮辱され、痛めつけられ、十字架で死なれた。

これは、決して偶然の出来事ではありません。


あらかじめ旧約聖書に書かれたことが、イエスさまによって実現したのです。


皆さんは、ぬり絵をお好きでしょうか?

あらかじめ描かれた下絵の線。

これが、旧約聖書だとすれば、イエスさまは地上のご生涯を通して、忠実に色をのせ、完璧に仕上げてくださった。


そう表現できるかもしれません。


イエスさまのご生涯と、旧約聖書の切っても切れない関係。これが弟子たちには、理解できていませんでした。

だから、イエスさまが、彼らの心の目を開いてくださったのです。


私たちも同じです。聖書は、いきなり丸かじりしても歯が立たない。理解の難しい面があります。


そのために、たくさんの素晴らしい解説書やガイドブックなどが出版されています。

ただ、それだけでは不十分です。


心の目を開いてくださるお方。

イエスさまの力が、どうしても必要です。

どうぞ、祈りつつ聖書を開いてください。イエスさまは、必ず助けてくださいます。


さて、こうして知識と理解を与えられた弟子たち。

すぐに任務に立ち上がったか?と言えば、そうではありませんでした。


イエスさまが与えた最後の命令。

それは、「待機せよ」というものだったからです。


《わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。

高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」》


高い所からの力。つまり、聖霊が降るまで待ちなさいと、イエスさまは言われました。

聖霊の助けなしには、神の働きは不可能だからです。


確かにイエスさまは、今までと違って、弟子たちと共に地上を歩まれることはなくなりました。一緒に食事をしたり、ハグしたりすることはできません。


でも、イエスさまを奪い取られたのではないのです。

これからは聖霊を通して、いつも共にいてくださる。

そんな素晴らしい約束が、実現しようとしていました。


来週は、この約束が実現した出来事を記念するペンテコステの礼拝です。


川崎元木ルーテル教会では、6月から礼拝の再開を予定しています。

そのため来週も、ネットでのメッセージとなります。


今の私たちにとっても、深い関わりを持つ聖霊の働き。そして、今イエスさまが天で何をしていらっしゃるのか?

そのことも、お話したいと思います。


天に昇られる時。

見えなくなる瞬間まで、イエスさまは弟子たちを祝福し続けてくださいました。

その限りない愛と恵みが、このメッセージをご覧くださる皆さんの上に、豊かに注がれますように。


ではまた、このブログメッセージでお会いしましょう。

でお会いしましょう。


ご覧いただきありがとうございます。
新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、
場合によっては休会になることもあります。
ショートメッセージを掲載しますので、そちらもご覧ください。

◎ 6月7日(日)再開予定  10:30~11:20
  メッセージ「宣教への派遣」 
 
 
【聖書】 詩編8:2-10(旧840)、創世記 1:1-2:4a(新2)
     2 コリ 13:11-13(新341)、マタ 28:16-20(新60)

【讃美歌】
     66"聖なる、聖なる"、166“イエス君は”、
     239“さまよう人々”、541“父、み子、みたまの”


◎ 6月14日(日)10:30~11:20  
  メッセージ「収穫の主」 
メッセンジャー:山口卓也(川崎教会)

【聖書】 
詩100:1-5(旧937) 、出19:2-8a(旧124)
     ロマ 5:1-8(新279)、マタ 9:35-10:8(&9-23)(新17)

【讃美歌】
     66"聖なる、聖なる"、166“イエス君は”、
     239“さまよう人々”、541“父、み子、みたまの”

◎ 6月21日(日)10:30~11:20 
 メッセージ「命の源」 
メッセンジャー:山口卓也(川崎教会)

【聖書】 詩69:8-19(旧902)エレ 20:7-13(旧1214)      ロマ 6:1b-11(新280)、マタ 10:24-39(新18)  【讃美歌】195“いのちの君にます主よ” 385“うたがい迷いの”      291“主にまかせよ”541“父、み子、みたまの”
      
 
◎ 6月28日(日)10:30~11:20  
 メッセージ「神の報い」
メッセンジャー:山口卓也(川崎教会)

【聖書】詩89:2-5,16-19(旧926)、エレ 28:5-9(旧1229)、
    ロマ 6:12-23(新281)、マタ 10:40-42(新19)
 
【讃美歌】195“いのちの君にます主よ”、385“うたがい迷いの”
     291“主にまかせよ”、541“父、み子、みたまの”

※聖書、讃美歌は教会に備え付けのものがあります。


YouTubeにムービーをアップロードしました。
こちらから確認できます:
https://www.youtube.com/watch?v=ARxNaeZoIJ4

ショートメッセージ 

約束の御霊

ヨハネによる福音書15-21

復活節第6主日 2020年5月17日

山口卓也

今日もご覧いただき、ありがとうございます。

5月は、新緑が美しい季節です。

ですが、天気が変わりやすくて、
体調管理が難しい面も
ありますね。

お元気にお過ごしでしょうか?


さて、緊急事態宣言。神奈川県は今も継続中です。

そのため、川崎元木ルーテル教会での集会もお休みしています。


それでも、インターネットを通してこうしてお会いできます。


私自身も神学校時代にお世話になった
その先生方の礼拝メッセージを、
家にいながらにして
聞くことができました。


確かに、今回の出来事。

これは、思いがけず生活を変えてしまいました。

毎年恒例の行事や考えに考え抜いた計画。

全部一瞬で消えてしまいました。


今までの経験がまったく役に立たない。

そんな世界へと誰もが押し出されています。


しかし、神さまにとって
思いがけないこと、というのは、
ひとつもありません。

神さまは、今日も力強い御手で、
この世界の一切を
支配なさっている
お方だからです。


もし私たちが、新しい環境で、生きること。

これが、神さまの御心であるならば、

神さまによる新しい導きと、新しい恵み。

これが、必ず用意されています。


それを、きょうの聖書から、見てまいりましょう。

ヨハネによる福音書14章15-21節です。

【新共同訳】ヨハネによる福音書1415から21


14:15
「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。


いよいよ、父なる神さまの御心の通り、

イエスさまが十字架につく時が、迫っていました。

ところが、それは、イエスさまの弟子たちにとって、

世界が崩壊するかのような出来事だったのです。


「イエスさまは、今すぐ、
自分たちの王様となってくださるはずだ。」
彼らは、そう思い込んでいました。

ところが、なんということでしょう。


自分たちの元からイエスさまが
いなくなってしまうというではありませんか。

動揺する弟子たちにイエスさまが与えたもの。

それは、恵みに満ちあふれた約束の数々でした。


≪わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。

あなたがたのところに戻って来る。≫(ヨハネ14:18)


その通り。イエスさまは、復活して、弟子たちの元に、

戻って来られたのです。


きょうの聖書箇所に出てきた、“世”という言葉。

ここでは、“イエスさまを信じない人々”を指します。

彼らの中で、復活のイエスさまとお会いできた人は、

ひとりもいませんでした。


そして、その後、イエスさまは、天に昇られました。

では、「後はよろしく」。

そう言って、今は、休んでいらっしゃるんでしょうか。

もちろん、そうではありません。


イエスさまは、私たちのそばに、ずっと一緒に

いてくださいます。その約束が、14:16です。

《わたしは父にお願いしよう。

父は別の弁護者を遣わして、
 永遠にあなたがたと一緒にいるように
 してくださる。》


 この約束は、弟子たちだけではなく、

今、イエスさまを信じる あなたの上にも、

実現しています。


 え? でも、一緒にいるのは、イエスさまじゃなくて、

別の弁護者でしょう?

なのに、どうして、イエスさまが一緒って言えるのかな?

そう思われたでしょうか。


答えは、聖書が教える、神のお姿にあります。

神とは、三位一体なるお方であることを聖書は

教えています。

父、子、聖霊の3つの異なるご人格をお持ちでありながら、

ただひとりであるお方。

それが、私たちと、この全世界を創造なさった、

全知全能の神です。


聖霊も、イエスさまとは分離不可能な、唯一の神です。

ですから、聖霊が私たちのうちにおられること

イコール、イエスさまが、一緒だということ。

そして、父なる神さまが、共におられることなのです。


そして、三位一体の、一体という言葉。

実は、私たちにとっても、重大な意味を持っています。

クリスチャンのことを

イエスさまとひとつに結ばれた人。

そう表現することがあります。

つまり、信仰によって、
イエスさまと一体化されたということですね。


すると、どうなるでしょう。

イエスさまが十字架で遂げられた死、

それは、あなたの死となります。

イエスさまが、墓に葬られたように、

あなたの古い罪のからだも、葬り去られました。


しかし、イエスさまは、今、墓にはおられません。

復活なさったのです。

イエスさまの復活は、あなたの復活です。

私たちは、イエスさまと共に、今、新たな命に生かされています。


この大きな恵みをまだ手にしていないという方。

もったいないです。もったいないという言葉では、

到底足りません。

イエスさま無しの人生は、命綱なしに、
バンジージャンプをするようなものです。


どうぞ、今と言う時。イエスさまが差し出す招きの御手を

しっかりと握りしめようではありませんか。


一度、イエスさまと一体化していただいたなら、

もう、何によっても、永遠に分離することは、不可能。


これから先、たとえ、どんな苦しみや、災いが襲ってきたとしても、

私たちが、イエスさまから引き離されることは、

決してありません。


イエスさまが、命を捨てて与えてくださった恵みの、

なんと素晴らしいことでしょうか。

このお方への愛を、どう表現したら良いでしょうか。


イエスさまご自身が、

《「あなたがたは、わたしを愛しているならば、

わたしの掟を守る。」》とおっしゃっています。


イエスさまは、私たちに何かを命令される時。

自分の力だけで、がんばりなさいとは言われません。

必ず、命令に従うための恵みをもセットで

与えてくださいます。


その恵みが、聖霊です。

聖霊の導きに従って、イエスさまの命令を守る。

そのことを通して、
 私たちの真実の愛を三位一体なる神さまにお捧げしたいと思います。


聖霊なる神さまとの親しい交わりが、いつも あなたと

共にありますように。

イエスさまのみ名によって、祝福します。


ではまた、次週のショートメッセージでお会いしましょう。


YouTubeにムービーをアップロードしました。
こちらから確認できます:
http://www.youtube.com/watch?v=cDb4hub2vPU

ショートメッセージ 

いのちに至る道

ヨハネによる福音書14:1-14

復活節第5主日 2020年5月10日

山口卓也

皆さん、今日もご覧いただき、ありがとうございます。


川崎元木ルーテル教会の集会は、緊急事態宣言に合わせて、

5月末までお休みをいただいています。

皆さんの生活におきましても、お困りのこと、思い通りにならないことが、たくさんあると思います。


私たちが立てる計画は、中止や変更がつきものです。

ですが、神さまのご計画は違います。人の思いをはるかに越えて、今日も、確実に進んでいます。


さて、地図があれば別として、知らない町の中を散歩しますと、どこに、どんな建物があるのか。たどり着くまでは、わからない。そんなことが、多いと思います。


それが、高い建物に登って、あたりを見渡してみると、どうでしょう。

遠くまで、一目瞭然。


行きたい方向も、はっきりとわかります。

私たちの世界も、そのように、高いところから、先を見通せたら、便利かもしれません。


しかし、私たち人間には、未来をのぞくことは許されていません。

では、私たちは、不安や恐れの中を生きる。それしか、道は、ないのでしょうか?


いいえ。神さまは、聖書を通して、希望のことばを語ってくださっています。


では、きょうの聖書の箇所をご覧ください。



【新共同訳】ヨハネによる福音書14章1から14節
14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。

そして、わたしをも信じなさい。
14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。
もしなければ、
あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、
戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
14:4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
14:5 トマスが言った。
「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。
どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
14:6 イエスは言われた。
「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
14:7 あなたがたがわたしを知っているなら、
わたしの父をも知ることになる。
今から、あなたがたは父を知る。
いや、既に父を見ている。」
14:8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。
そうすれば満足できます」と言うと、
14:9 イエスは言われた。
「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、
わたしが分かっていないのか。
わたしを見た者は、父を見たのだ。
なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。
14:10 わたしが父の内におり、
父がわたしの内におられることを、信じないのか。
わたしがあなたがたに言う言葉は、
自分から話しているのではない。
わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
14:11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、
わたしが言うのを信じなさい。
もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
14:12 はっきり言っておく。
わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、
また、もっと大きな業を行うようになる。
わたしが父のもとへ行くからである。
14:13 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。
こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
14:14 わたしの名によって何かを願うならば、
わたしがかなえてあげよう。」


きょうの福音書は、イエスさまが十字架に付く直前。

ご自分の愛する弟子たちと一緒に、最後の晩餐の時を

過ごされた。その際のみ言葉です。


そして、今の私たちに対しても、向けられている、大切なみ言葉なのです。


イエスさまが、自分たちの元を離れて行ってしまう。

そう知った弟子たちは、大きな不安と悲しみに襲われていました。
そんな弟子たちに、イエスさまは何と言われたでしょうか。


 ≪心を騒がせるな。神を信じなさい。

そして、わたしをも信じなさい。≫(14:1)


「心を騒がせる必要なんて、ないんだよ。」そうイエスさまは言われたのです。

なぜなら、天には永遠の住まいがあるからです。

イエスさまが、弟子たちを離れて、父なる神さまの元に

お帰りになる。

それは、彼らが住む場所を用意してくださるためなのです。


≪場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを

わたしのもとに迎える。≫


この約束は、イエスさまを信じるすべての人のものです。

イエスさまは神ですから、約束を破ることは絶対にありません。


神さまを信じ、イエスさまに信頼する。これが、先の見えない世界にあって、平安に生きる秘訣です。


私たちは、明日、何が起こるのかさえ、確かなことはわかりません。

でも、たどり着く場所が、どこなのか。

それは、天の父なる神さまの元にある、住まいである。

イエスさまは、そう、はっきりと教えてくださいました。


イエスさまに迎え入れていただくその日まで、一日、一日、神さまと聖書のみ言葉に信頼して歩んでまいりましょう。


きょう、心に留めていただきたいみ言葉。

それは14:6です。

「わたしは道であり、真理であり、命である。

わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことが

できない。」


天の父のもとへ行く道は、たったひとつ。
イエスさまをあなたの救い主として信じることです。他に道はありません。


イエスさまが通られた十字架の道。

これが、私やあなたの罪によって、断絶していた道。

父なる神さまと和解する道を切り開きました。


イエスさまを通して、
天の父なる神さまの元に、立ち帰ろうではありませんか。

イエスさまは、
「わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(14:14)
とも約束してくださいました。


イエスさまを信頼して、イエスさまのお名前によって祈る。
そのあなたの祈りは、確かに天のお父さまの元に届いています。
言葉を飾り立てて祈る必要は、ありません。

あなたの弱さ。背負う重荷、悩みや痛みも、全部イエスさまはご存じだからです。


その上で、私たちに愛を注がれる救い主。
イエスさまからの祝福が、今週も皆さんの上に豊かにありますように!

また次週のショートメッセージでお会いしましょう。

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