サクッ!と聖書のブログ

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2020年04月

動画はこちら
https://youtu.be/1H3F9ydMxsA


ショートメッセージ 

走れ!エルサレム目指して

ルカ福音書24:13-35

復活節第3主日 2020426

山口卓也

皆さん、お元気ですか?

川崎元木ルーテル教会の礼拝は、しばらくお休み中です。

では、私はどうしているかと言いますと、

4月26日(日曜日)大船ルーテル教会にて、説教をさせていただきます。


本当なら、25日(土曜日)から、ゴールデンウイークの始まりでした。
旅行に出かけたり、ショッピングや映画を楽しんだり、
ワクワクするシーズンだったはず。

それが今年は、ステイホーム週間に変わりました。

「故郷への帰省も控えてください。自宅にとどまってください。」
との言葉に、事態の深刻さが伝わってまいります。


自分のいるべき場所にとどまる。
これが、今の私たちに求められています。
ですが、とても忍耐のいることですね。恐れや不安といった感情が、
どうしても沸き起こってまいります。


今回の登場人物は、
自分のいるべき場所にとどまることができなかった。
そんな二人の弟子たちです。
ひとりの名前だけが、わかっています。
クレオパと言いました。
イエスさまには、12弟子以外にも大勢の弟子がいたのです。


イエスさまが、十字架につけられて死んでしまった。
この出来事に、二人は大きなショックを受けました。

心は、まるで大嵐に遭った小舟のよう。
そこで、安全な港に避難するのが一番だと考えたのでしょう。

二人が向かったエマオ村とは、彼らの故郷だと思われます。


しかし、仲間の元を離れて、都エルサレムから去ってしまう。
それは彼らの魂にとって、非常に危険なことでした。

せっかくイエスさまの弟子となって、たくさんの教えを学んだはずなのに。
信仰も希望も捨てて、すべてをなかったことにして生きて行くのでしょうか。


彼らは、イエスさまの死によって、自分たちの希望が消え去ったのだ。
そう誤解し、絶望していました。

でも、イエスさまは復活して、生きておられるのです。


「おいおい、どこへ行く。
  君たちのいるべき場所は、そっちではないよ」

そう言うかのように、イエスさまが二人の元に近づいて来てくださいました。

二人の会話に入って来た見知らぬ人物。
それが、復活のイエスさまだったのです。

「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」

知らないふりをして尋ねたイエスさまの言葉に、二人は驚きあきれます。


「エルサレムに滞在していながら、
  この数日そこで起こったことを、
  あなただけはご存じなかったのですか。」


ご本人を前にして、なんという失礼さ。
でもイエスさまは忍耐して聞いてくださいました。


空の墓、
そして『イエスは生きておられる』と告げた天使の言葉。
これらの情報を手にしながら、
弟子たちは、イエスさまが復活なさったことを信じることができませんでした。

そしてイエスさまの十字架の死が、
人間の罪の代価を支払うためのものだったことも、
理解していませんでした。


 ちゃんと旧約聖書に書いてあるのに。


 そこでイエスさまは、彼らに旧約聖書の解説をしてくださったのです。

そうこうするうちに、目的のエマオ村に到着しました。
無理にイエスさまを引き止めて、晩餐の席に着いた時のことです。


イエスさまがパンを裂いて、二人にお渡しになりました。
すると、さえぎられていた目が開けました。

このお方が、イエスさまであること。
確かに死からよみがえって、生きておられるのだということがわかったのです。

でも、その途端、イエスさまのお姿は見えなくなってしまいました。


二人が、がっかりしたかって?

いいえ。彼らは言いました。

「道で話しておられるとき、
  また聖書を説明してくださったとき、
  わたしたちの心は燃えていたではないか」


イエスさまから聞いた聖書の説明は、
消えかかっていた彼らの信仰の火を再び燃やしたのです。
復活のイエスさまと出会う恵みによって、
これまでの恐れや不安も一気に解消。


「よし!仲間の弟子たちに、この話を分かち合おう。」

急いで二人は、都エルサレムへと戻って行ったのです。

往復22キロ。がんばりましたね。


終わりが見えない中で、苦闘なさっている皆さん。
あなたは、ひとりではありません。
イエスさまは、あなたのために、
あなたの隣をともに歩んでくださる神です。

イエスさまからの祝福が、
今週も皆さんの上に豊かにありますように!


それではまた次週のショートメッセージでお会いしましょう。


ショートメッセージ 

復活のイエスさま、弟子たちに顕れる

(ヨハネによる福音書20:19-31

復活節第2主日 2020419

山口卓也

 

皆さん、お元気にお過ごしでしょうか。

“ステイ・ホーム”という言葉が毎日聞かれますね。

今は、ひとりひとりが責任ある行動を取れるかどうか。
それが他者の命を左右する問題となっています。

川崎元木ルーテル教会もしばらく礼拝はお休みです。


でも新緑鮮やかなこの季節です。

ちょっと外に出掛けて、カフェで息抜きしたり、きれいな景色を眺めたりしたくなります。


 まして子どもたちに、外に出るなというのは、難しいことですね。

うちの近所の公園は、いつも大賑わい。
 住まいの窓から見えるコンビニには、18日の大雨が止むなり、ひっきりなしに人が訪れていました。

皆さんも日々、様々なご苦労があると思います。

どうか、先が見えない困難に立ち向かっておられる皆さんの上に神さまの守りの御手が差し伸べられますように。


  では、今日のショートメッセージです。

イエスさまの弟子たちも、エルサレムの片隅で、ステイ・ホームしていました。ところが、彼らの場合、ステイ・ホームしてはならなかったのです。

ただちにガリラヤに旅立って、そこで復活なさったイエスさまを待つこと。これが、イエスさまからの命令だったからです。


「私は、主を見ました」。

このマグダラのマリアの証言を弟子たちは、信用しませんでした。

そして自分たちにまで危害が及ぶことを恐れて、鍵をかけて閉じこもっていたのです。

まさに3密状態。その中に、イエスさまが来てくださいました。

「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」(21節)

こう言われたイエスさまの手とわき腹には、十字架で受けた傷跡がありました。弟子たちは、それを見て、やっと復活の事実を受け入れることができたのです。

 ですが一人。その貴重な場面を見逃した弟子がいました。彼の名はトマス。彼は言います。

「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

彼の疑いによって、弟子たちの喜びは消え去り、ガリラヤへの旅立ちが、また遠のいてしまいました。

ですが、忍耐と愛に満ちたイエスさま。もう一度彼らの家を訪れてくださいました。今度はトマスも目撃できました。

「わたしの主、わたしの神よ」

ようやくトマスも、イエスさまが復活して生きておられることを信じました。


目に見えないことや、体験していないことは信じない。

そう考えて、イエスさまを拒否する方もおられることでしょう。

ですが神は、そもそも私たち人間の想像や理解をはるかに超えたお方です。
神についてだけでなく、私たちを取り巻く世界についても、明らかになっているのは、ほんの一部に過ぎません。

たとえばウィルス。その存在を人類が知ったのは19世紀に入ってからです。人の英知は宇宙に行くことを可能にしました。半面、目に見えないウィルスによって存在が脅かされてしまう存在。それが人間です。


決して全知全能ではなく、時に疑いと恐れによって間違った行動を取ってしまう。

そんな弱さと罪を抱えた人間を神は愛してくださいました。そして、かけがえのないひとり子を救い主としてお与えくださったのです。

その救い主。イエスさまがトマスに言われました。

「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」


 私たちも今、イエスさまを見ることはできませんね。

けれども聖書を開いてください。神はあなたに、聖書の言葉を通して語っておられます。見ずとも、イエスさまと出会い、信じることができます。そして永遠の命の恵みを受け取ることができるのです。

≪これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。≫
(ヨハネ福音書20:31)


このヨハネ福音書を書いたヨハネは、かつて恐れによってステイ・ホームしていた弟子のひとりでした。しかし復活のイエスさまと出会った後、彼の人生は変わりました。恐れを捨てて、神さまの愛をお伝えする者となり、立派にその使命を果たしたのです。

彼に、ご自分の権威と使命をお与えになったお方。

イエスさまからの祝福が、今週も皆さんの上に豊かにありますように!


また次週のショートメッセージでお会いしましょう。

ショートメッセージ 『復活の朝』

(ヨハネによる福音書20:1-18

復活日 2020412日説教

山口卓也

 

『みなさん イースター おめでとうございます!』

例年なら、顔を合わせて語り掛けていました。


しかし今年のイースター礼拝は中止です。

イエスさまのご復活をお祝いできない日が来ようとは、

思いもしなかったことです。本当に残念でなりません。


再開は、5月10日を予定しています。

この川崎元木ルーテル教会は、小さな会堂です。

少人数で礼拝を守る分には、問題ないと考えていました。


しかし私は、川崎市外に住んでおり、公共交通機関を利用して教会に通っています。

リスクを完全に排除できないことから、決断しました。


皆さんのご予定も、変更や中断を余儀なくされたことでしょう。急に手に入らなくなった品々。

予定していた旅行や、友人とのおしゃべりもキャンセル。

突然、日常の楽しみや喜びが、取り去られてしまいました。


今朝の福音書に登場するマグダラのマリア。

彼女から取り去られてしまったと思われたのは、

イエスさまのご遺体でした。


埋葬された墓に行ってみると、中は空だったのです。


「遺体が盗まれた」。

そう思い込み、ショックと悲しみで泣き続けるマリア。

しかし彼女の前に、復活のイエスさまがお姿を現わしてくださいました。


最大の悲劇と思えたイエスさまの十字架の死。

それが、この時、最大の喜びに変わったのです。


マグダラのマリアの前に立たれたイエスさまは、

今日、あなたの心の扉の前にも、立っておられます。

どうぞ、このお方の招きの声に、耳を澄ませてください。


様々な人生の問題や疫病、災害が取り巻く時。

私たちは、懸命に備えをしようと致します。

しかし、もっとも大切なことは、私達人間、そしてこの

全世界を造られたお方。

神に会う備えが、完了していることです。

人間とは、まるで、快適なリビングの窓から、

勝手に脱走したペットのようではないでしょうか。

飼い主は、あらゆる犠牲を払って、探しに出かけます。

やっと見つけたペットは、悲惨な状況に置かれていました。

傷や泥にまみれ、飢えで、やせ細っていました。


いくら愛していても、まず汚れを落としてからでないと、

リビングに入れてあげるわけにはいきません。


私たちも、目上の人に会う時には、身なりを整えますよね。

まして、神さまは、聖なるお方。

罪という泥にまみれた状態では、神さまのそばに

近寄ることはできないのです。


でも、イエスさまは、そんな私たちを見捨てません。

天の御座から降りて、助けに来てくださいました。

私たちの身体に染み付いた、罪の泥や傷。

これは石鹸やアルコールでは、きれいにすることはできません。


だからイエスさまが、十字架で命を捨てられたのです。

イエスさまが流された血潮だけが、あなたの罪をすべて

清めることができます。

イエスさまをあなたの救い主だと信じること。

これだけが、神に会う備えです。


イエスさまは、ご自分の命よりも、あなたを愛しています。

どうぞ、恐れやためらいを捨てて、イエスさまを信じ、

頼ることを選び取ってください。


イエスさまは、信じる者に、復活の命、永遠の命を

お与えになります。


これからも、私たちの計画や願いが、取り去られる日が

やって来るかもしれません。

でも、神さまのご計画は、そうではありません。

どんな力も、神さまがなさることを妨害することは

できないからです。


全知全能の神の恵みが、今週も、皆さんの上に、

いつもありますように。

よみがえられた 救い主。

イエス・キリストのみ名によって、

皆さんを祝福します。アーメン。


《 主はわたしの砦、わたしの歌。

主はわたしの救いとなってくださった。

御救いを喜び歌う声が主に従う人の天幕に響く。

主の右の手は御力を示す。

主の右の手は高く上がり/主の右の手は御力を示す。

死ぬことなく、生き長らえて/主の御業を語り伝えよう。

主はわたしを厳しく懲らしめられたが/

死に渡すことはなさらなかった。

正義の城門を開け/わたしは入って主に感謝しよう。

これは主の城門/主に従う人々はここを入る。

わたしはあなたに感謝をささげる/あなたは答え、救いを与えてくださった。

家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった。

これは主の御業/わたしたちの目には驚くべきこと。

今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。》

(詩編118:14-24)



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