2019年06月11日

【 6月16日 三位一体主日 】

◎ 6月16日 (日)三位一体主日 10:30~11:30 

  メッセージ「真理の霊
  メッセンジャー:山口卓也(川崎教会)
【聖書】詩8:2-10(旧840)イザ6:1-8(旧1069)     ロマ8:1-13(新283)ヨハ16:12-15(新200)   
【讃美歌】66"聖なる、聖なる"、166“イエス君は” 
     291“主にまかせよ”、541“父、み子、みたまの”

  
礼拝への参加が初めての方も、歓迎です。ぜひご参加ください。
※聖書、讃美歌は教会に備え付けのものがあります。





kawasaki_lutheran at 17:25|Permalink

2019年05月26日

【 6月の集会予定 】

6月の集会は以下の通りです。

◎ 6月2日(日)  昇天主日 10:30~11:30 
  
  メッセージ「復活の証人」
  メッセンジャー:山口卓也(川崎教会)

【聖書】 詩110:1-7(旧952)、使1:1-11(新213)
     エフェ1:15-23(新352)、ルカ24:44-53(新161)

【讃美歌】157“御国に昇りし”、159“あおげや輝く”
     239“さまよう人々”、541“父、み子、みたまの”

◎ 6月9日(日)聖霊降臨祭 10:30~11:30
  
  メッセージ「聖霊の働き」
  メッセンジャー:山口卓也(川崎教会)

【聖書】 イザ12:1a-6(旧1079)、創11:1-9(旧13)
     使2:1-21(新214)、ヨハ16:4b-11(新200)

【讃美歌】157“御国に昇りし”、159“あおげや輝く”
     239“さまよう人々”、541“父、み子、みたまの”

◎ 
6月16日 (日)三位一体主日 10:30~11:30 
  メッセージ「真理の霊
  メッセンジャー:山口卓也(川崎教会)
【聖書】詩8:2-10(旧840)イザ6:1-8(旧1069)     ロマ8:1-13(新283)ヨハ16:12-15(新200)   
【讃美歌】66"聖なる、聖なる"、166“イエス君は” 
     291“主にまかせよ”、541“父、み子、みたまの”

◎ 6月23日(日)聖霊降臨後第2主日 10:30~11:30 
 
  メッセージ「約束の聖霊」
  メッセンジャー:山口卓也(川崎教会)

【聖書】詩30:2-6(旧860)、王上17:17-24(旧562)
    ガラ1:11-24(新342)、ルカ7:11-17(新115)

【讃美歌】66"聖なる、聖なる"、166“イエス君は”      291“主にまかせよ”、541“父、み子、みたまの” 

 
◎ 6月30日(日)聖霊降臨後第3主日
   
※ 当教会(川崎元木ルーテル教会)での集会はありません。
※ 大船ルーテル教会の礼拝にご参加ください。
 当教会の教職は、鵠沼めぐみルーテル教会での礼拝奉仕のために不在です
  
礼拝への参加が初めての方も、歓迎です。ぜひご参加ください。
※聖書、讃美歌は教会に備え付けのものがあります。





kawasaki_lutheran at 12:30|Permalink

《 ヨハネ14:23-29 メッセージ 》

説教『約束の聖霊』―心を騒がせるな。おびえるな。―
(詩67:2-8、使14:8-18、黙21:22-27、ヨハ14:23-29)
復活後第5主日(2018年5月26日)説教
山口卓也

きのうの土曜日、私の勤務しています園で、運動会が、
おこなわれました。

今日も同じですが、真夏のような暑さでしたので、
熱中症が心配されました。
幸い、無事に、楽しく過ごすことができ、
感謝でありました。

季節には、それぞれ、良さがあります。
わたしは、日も長くて、上着なしに歩ける、
この時期が、一番好きです。

しかし、年々、暑さが厳しくなっているようです。
大きな災害も、心配されています。

この世界は、永遠に続くのではないこと。
確実に、移り変わっていくものであることを
日々、感じます。

イエスさまが、私たちと同じ肉体を持って
地上を歩まれる。
その時が、過ぎ去ろうとしていました。

本日与えられましたヨハネによる福音書の舞台は、
十字架の直前。
弟子たちと最後の晩餐の時を過ごされた直後のことでした。

最後の晩餐といいますのは、過越祭の時に取る
特別な食事です。
「いつも、弟子たちは、イエスさまと一緒にご飯を
食べていたけれど、これが最後の食事になった」、という意味ではありません。

エジプトで奴隷となっていたイスラエル人たち。
彼らは、神さまの導きによって、脱出を果たします。
その、出エジプトの出来事を記念した儀式的な食事。
それが最後の晩餐でした。

出エジプトの前夜、エジプトに対する、最大の裁きが
下されました。

ファラオの息子から、家畜にいたるまで、
最初に生まれた子供が、すべて死ぬこととなったのです。

しかし、ほふられた小羊の血を
門柱とかもいに塗ったイスラエル人の家。
裁きの天使は、そこを過ぎ越して行きました。
ですから、イスラエルのうちで、
死んだ者は、ひとりもいません。

この出来事は、イエスさまの十字架による救いを
あらかじめ示したものです。
神の小羊となって、イエスさまが十字架の上で流された血。
それが、私たちを滅びから救い、
永遠の命をもたらすものとなりました。

イエスさまの血が流されることなしには、
私たちの罪が赦されることは、なかったのです。

ついに、十字架の前夜がやって来ました。
最後の晩餐。過ぎ越しの食事を終えて、
ゲツセマネの園に向かうまでの間。

その短い間に、イエスさまが語られたのが、
ヨハネ福音書14章の内容です。

その最初の部分をお読みします。
14:1からです。

≪「心を騒がせるな。神を信じなさい。
そして、わたしをも信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんある。
もしなければ、あなたがたのために場所を
用意しに行くと言ったであろうか。
行ってあなたがたのために場所を用意したら、
戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、
あなたがたもいることになる。
わたしがどこへ行くのか、その道を
あなたがたは知っている。」≫

イエスさまは、弟子たちのために。
また、イエスさまを信じるすべての人のために、
天にある永遠の住まいを用意しようとなさいました。

そのためには、十字架の死と復活という体験を通ってから、天にお帰りになる必要があったのです。

「わたしは、また戻ってくるから、
不安になって、心を騒がせなくていいんだよ。」

イエスさまに、そう言われても、
弟子たちは、心を騒がせました。

「イエスさまが、どこかに行ってしまうんだ。
自分たちを、置き去りにするのだろうか?」

そんな風に、不安になってしまったのです。
彼らのために、イエスさまは、たっぷりと、
何度も繰り返して、
励ましのことばを語ってくださいました。

それでも、まったくわかっていなかったという事実を
示してしまったのが、弟子のひとり、
イスカリオテでない方の、ユダの質問です。

今朝の箇所の前、22節です。

《主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか》(22節)

弟子達が、イエスさまに期待していたのは、
イスラエルの統治者。王さまとなってくださることでした。
そして、それが実現する時が間近だ!
そう思い込んでいたのです。

「なのに、どうして、自分こそ、王さまだと宣言して、
人々の前に、栄光を示さないのですか?」
弟子たちは、みんな疑問に思っていました。
イエスさまのお答えを14章23節から見てみましょう。

《イエスはこう答えて言われた。
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。
わたしの父はその人を愛され、父とわたしとは
その人のところに行き、一緒に住む。」》(ヨハネ14:23)

イエスさまは、弟子の質問に、直接的には、こたえませんでした。
彼らの期待と、イエスさまが果たそうとなさっている
十字架への道は、まったくかけ離れていたからでしょう。

この絶望的な勘違いは、やがて時が解決してくれました。
そこで、イエスさまは、彼らが今後必要とすることを
ひたすら教え続けられたのです。

「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。」
私たちが、イエスさまを信じている。愛している。
そうだとすると、その事実を、
どうやって証明できるでしょうか?

それは、イエスさまが命じたことを
実行している。
これによって、わかります。

私たちは、好きではない人の命令に従うことが、
非常に難しいのではないでしょうか?
たとえ従ったとしても、表面的なものにとどまると
思います。

でも、皆さんにとって、イエスさまが、救い主。
自分のために、いのちを捨ててくださったお方だ。
そう受け入れたなら、どうでしょうか?

イエスさまは、誰よりも慕わしいお方となるはずです。
その、愛する神、イエスさまの言葉を
まったく無視して生きることは、したくても、
できないのです。

イエスさまと父なる神さまは、ひとつですから、
イエスさまの言葉を守る生き方を通して、
私たちは、父なる神さまを愛することになります。

イエスさまの言葉を守る人を父なる神さまも
愛してくださいます。

そればかりか、
父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。》こんな、素晴らしい約束が与えられました。

神さまは、神さまを愛する信仰者の内側を住まいと
してくださるという約束です。

14:18でも、イエスさまは言われました。

《わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。》

ですから、どんな試練がやって来ようとも、
私たちは、イエスさまの約束に信頼しつつ、
勇気をもって、生きぬくことが、可能なのです。

イエスさまは、さらに、2つの約束を
与えてくださいました。
一つ目が、26節です。

《しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことを
ことごとく思い起こさせてくださる。(14:26)》

三位一体の神である、聖霊。
それが、ここでは『弁護者』と訳されています。
他の聖書の訳ですと、『助け主』となっています。
この箇所では、その方が適切だと思います。

今、わたしたちが手にしている聖書。
これは、すべて、間違いのない、神さまの言葉です。

ヨハネの福音書も、そうです。
書いたのは、イエスさまの弟子のヨハネです。
彼を導いて、イエスさまが教えてくださった内容を
正しく思い起こさせる。

その役割を果たした助け主、教師こそが、
聖霊なる神でした。

イエスさまの約束通り、新約聖書は、聖霊の導きと
守りによって書かれました。
だから、誤りのない神のことばである。
そう、安心して受け取って、読むことができるのです。

ふたつめの約束が、27節です。

《わたしは、平和をあなたがたに残し、
わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。
心を騒がせるな。おびえるな。》

イエスさまが与えてくださる平和。
これは、イエスさまを信じる者たちに与えられる恵み。
イエスさまからの遺産です。
遺産というのは、努力によって手に入れるものでは
ありません。
遺産を残してくれた人がの子ども、または親族である。
こういった理由。
そして、相手が与えたいと、一方的に思ってくれることで与えられます。

イエスさまを信じる信仰によって、私たちは
父なる神さまの子ども。いわば、養子としていただきました。

はじめから、権利があったわけではないのに、
ただ、一方的な恵みによって、イエスさまと共に、
父なる神さまの財産すべてを相続する相続人と
していただいたのです。

特に、イエスさまが与えた平安、平和という遺産は、
今、ただちに手にすることのできる遺産です。

それは、この世界で手に入る、どんな平和とも、
まったく違っています。
この世界における平和は、残念なことに、
一時的なものです。


しかし、イエスさまが与える平和は、
永遠に続く平和。どんなに状況が悪くなったとしても、
失われる心配のない平和です。

それは、罪を完全に赦されたことからくる喜びです。
そして、神さまが、共にいてくださる。
何があっても、神さまに見捨てられる心配はない。
必ず、天の故郷に帰れるという確信からくる平安です。

イエスさまは、ご自分の命を捨てることによって、
これを私たちに与えてくださいました。

世界に戦争がないこと。
こういった意味での平和も、もちろん大切です。
私たちの愛する子どもたちのためにも、
平和な世の中であって欲しいと願います。

けれども、罪あるまま、神さまに背を向けたままで
地上の生涯を終えてしまうなら、永遠の滅びに
直面しなくてはなりません。

罪によって、切れてしまっていた神さまとの関係を
回復していただくこと。
これこそが、私たちに必要な平和なのです。

どうぞ今、イエスさまの約束のことばに信頼してください。
そして、イエスさまだけが、与えることのできる平和を
手にしようではありませんか。

では、今朝の箇所の締め括りのことばを
見てみましょう。28節からです。

《『わたしは去って行くが、
また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのを
あなたがたは聞いた。
わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを
喜んでくれるはずだ。
父はわたしよりも偉大な方だからである。
事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。》

このみ言葉は、この後、すぐ、その通りに実現しました。
イエスさまと、弟子たちとの別れは、一時的なものに
過ぎなかったのです。

十字架で死んで、墓に葬られた後、イエスさまは
復活なさいました。
そして、弟子達の前に、お姿を現してくださいました。


イエスさまとの喜びの再会を果たした時、
弟子たちは、イエスさまの約束のことばが、いかに
真実であったかを体験として、知ったのです。

復活の後、イエスさまは、天に昇られました。
紀元1世紀における、イエスさまの地上でのお働き。
それが、すべて完了したからです。
今は、父なる神の右の座という、栄光の座に
ついておられます。

そして、私たちのために、祈るという、大祭司としての
働きをなさっておられます。

神としての栄光をすべて捨てて、十字架で死なれた。
こんな、辱めに満ちた日々が、終わること。
そして、本来、おられるべき場所に戻られること。
それが、“父の元に行く”ということです。

ですから、それは、イエスさまにとっても、
イエスさまを愛する弟子たちにとっても、
喜ぶべきことです。

イエスさまを愛するすべての人にとっても、
今、イエスさまが、天の栄光の座についておられることは、大きな喜びです。
私たちのために、いのちを捨てられたイエスさまが、
今も墓の中におられるならば、
それは、あまりにも大きすぎる悲しみでしょう。

しかし、父なる神さまは、イエスさまを
復活させてくださいました。
イエスさまの十字架の死を、
私たちの罪のための代価として、受け取ってくださった
からです。

「心を騒がせるな。おびえるな。」
イエスさまが、そうお命じになったのは、そうする必要が、ないからです。
どんな時も、イエスさまは、ご自分を愛する者たちと
一緒にいてくださるからです。

命さえ惜しまずに、あなたを愛しぬかれたイエスさま。
そのお方の約束に信頼して、新しい1週間を
歩み出してまいりましょう。

お祈りいたします。

天のおとうさま

今朝も、励ましのみ言葉を感謝します。

今、あなたの元におられる救い主、
イエスさまを通して、あなたとの平和が与えられています。

そして移り変わっていく不安な時代にあっても、
あなたの愛と守りは、あなたを愛する者たちから
離れることがありません。

どうか、これからも、み言葉を通して、
導き、励ましてください。

今日も生きて、私たちと共にいてくださる救い主。
イエス・キリストのみ名によって祈ります。
アーメン






kawasaki_lutheran at 10:00|Permalink